校章
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作成 ・昭和29年 4月
図案 ・第4代校長 中村 時夫氏
・熊笹は、忍耐強い開拓精神を象徴し、クローバは酪村の奥春別を示す。
・円内の奥小は、地域の文化教育の中心となる奥春別小学校を表す。
- 教育目標
- わたしたちは奥春別開拓の
輝かしい歴史と伝統をうけつぐ
たくましい奥春の子どもです- 一、考える子になります
- (創意工夫する心)
- 二、たすけあう子になります
- (思いやりの心)
- 三、やりぬく子になります
- (ねばり強くがまんする心)
- 四、じょうぶな子になります
- (健康安全に留意する心)
奥春別小学校 校歌
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- 作詞 中村時夫・紅林 晃
作曲 橋本道博 - 一、摩周の空も 晴れわたり
子牛のむれる この丘辺
あした文化の 花をつみ
学ぶ我等の 楽しさよ
ああ栄えあれ 奥春別校
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二、鐺別川の 清流に
夕こころを 澄ましては
希望の光 求めつつ
励む我等の うれしさよ
ああ栄えあれ 奥春別校
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三、緑の沃野に かけわたす
虹の七色 友情のはし
心をのばし 身をきた
競う我等の 楽しさよ
ああ栄えあれ 奥春別校
- 作詞 中村時夫・紅林 晃
- 沿革
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明治32年、千古不伐の樹木・笹深い原野に開拓の鍬が下ろされて以来子弟の教育に対する情熱が強く、明治37年4月22日部落民の寄付により8坪の奥春別教授場を落成開校し、令和2年で116年目を迎える。
大正元年8月1日、火災のため全焼し、翌年3月奥春別教授場廃止となるが(4年間の空白は、弟子屈小学校に通学した子・休学した子があると聞く)強い子弟教育熱の高まりで、大正5年現在地に校舎新築し、大正8年正式に弟子屈小学校所属奥春別特別教授場として再開した。
昭和5年4月18日に奥春別尋常小学校と改称し弟子屈小学校から完全な独立校となる。昭和16年4月奥春別国民学校(同年高等科併置認可)
昭和22年町制施行により弟子屈町立奥春別小学校と改称。昭和33年に僻地集会室(66坪)、昭和37年鉄筋ブロック校舎に改築された。
昭和54年12月特別教室(音楽室・理科室)の増築、昭和59年12月には、待望の温泉熱暖房屋内体育館(僻地集会所)に改築された。
平成5年12月普通教室-管理棟の全面改築が成り、温泉暖房・水洗化と一新した。
平成16年11月21日、開校百周年記念式典・祝賀会挙行。
平成25年度に防災機能強化対策工事が行われる。
平成26年12月5日、弟子屈町教育研究指定校・弟子屈町教育研究所研究協力校公開研究会が行われる。
平成28年9月23日、全道へき地複式教育研究大会釧路プレ大会(集合学習⑤ 奥小)
平成29年3月25日、奥春別森の保育園閉園式(会場:奥春別小学校)
9月22日全道へき地複式教育研究大会釧路大会 第6分科会 会場校(集合学習⑤)
平成30年8月5日、釧路へき地複式教育研究大会弟子屈大会 会場校(暴風雨2時間遅れ)
9月26日、ふるさと学習②(釧路川源流川下り体験)
令和3年3月31日、閉校・弟子屈町学校へ統合
沿革史年表(~平成30年度) 沿革史年表(令和元年~令和2年度) - いじめ防止基本方針
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- 弟子屈町立奥春別小学校
- 〒088-3221
北海道川上郡弟子屈町字鐺別274番1